虚構日記

数年前に描いた文やふつうの日記を描いております。若干右寄りだったり制服フェチです。

映画レビュー「リリイ・シュシュのすべて」


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非現実的なリアル

評価 ★★

窃盗、売春、強姦、自殺


リリイシュシュのすべては2001年代の郊外の中学生達のいじめが田園の中で残酷に繰り広げられている。


この作品はリアルな少年犯罪を描いているのかと思えば、実はそうではない。


星野を粗暴な男に豹変させていく過程や、津田が何故売春に至ったかなどの描写が抜けており、ここが最もリアリティに欠ける点だ。


津田は自殺を選び、久野は坊主にすることで星野へ最後まで服従しなかった。


という解釈は腑に落ちない。


せめて親か教員に相談するという選択肢もあったはずだ。


ところが担任の長内という女教師は、蓮見がCDを万引きしたにもかかわらず、


「たった一枚ですから」


と、倫理観に欠けた発言をするような人間。


さらに男子に人気のあった久野は強姦されるのだが、数日後には自身で頭を坊主にして登校する。

しかし、この長内という教師は、ウィッグか帽子にすることを勧めるだけであった。


なぜ津田と久野、そして蓮見らが教師に相談することができなかったか?


それは周りの大人達が、彼ら少年達の問題行動の根本的な原因に見向きもしなかったからだ。


更にリアリティに欠ける点としては、終盤では星野や津田が死んでいるのだが、この担任の長内は何事も無かったかのように淡々と部活動の顧問をやっている。


なぜ彼らの悪行が表面化しないのか謎でしかない上に、コンクリート事件のような理不尽さを感じる。


この映画のネットでの評価が低いのは、主人公が最終的に復讐を成し遂げる訳でもなく、すべての人物の行動原理に矛盾が多いせいで胸くそ悪いからだろうと推測する。


しかし、この作品が単なる痛快劇であれば薄っぺらく感じるのも事実だ。


製作者の意図は万人違う感性で受け取るのが正しい鑑賞の仕方であると私は思う。


蓮見はフィリアとして青猫である星野を刺殺したが、

周りの共犯であった生徒達には、復讐を遂げていない。


主格犯のみが裁かれ、その下の共犯者は裁かれることなく、のうのうと生き続ける。


まさにこれこそがリアルだ。


大人だろうが、少年だろうが関係ない。

個への憎しみはストレートに殺すことで復讐が成り立つのだが、

不特定多数への真の復讐は、残念ながらこの世では出来ない。


周囲からは成績優秀と勝手に期待される一方、一家離散に陥った星野。


平凡な日常を送っていた内気な蓮見が、星野と出会い、沖縄旅行の後に、残酷な男へと星野がなる様を目の当たりにし、墜ちてゆく姿を演じており好感を持った。



昨今の青春アニメと比べて


深海誠監督の「君の名は」が大ヒットしたのは目新しい話題だ。


さらに少女漫画などでは旬の俳優らが主演を演じ、度々話題になっている。


しかし、これらの青春アニメ、実写映画などは、虚構の世界でしかないように感じる。


「お前らこんな学生時代を送ったことがあるのか? 」


少なくともひがみ根性で物申すと、この一言に尽きる。


バックボーンに青春が無い人間は、


極端から極端なのである。


ほんとうのリアルって何だ?


派手な少年犯罪が日常的に起きる田園都市を描いた作品が中学生のリアルか?


あるいは都心をトレースしただけの背景に青春ごっこが描かれたアニメが中学生のリアルか?


答えは一つだ。


映画やアニメに、リアルを求めてはいけない。

0から物を作る時点で、現実とは別の世界を創造している訳である。


先程の論評も然り、我々は虚構の世界にお金を払うのであり、製作者にとってみれば、真のリアリティを求める方がタブーなのである。


胸くそ悪い。リアリティがない。


これは至極まっとうな感想であるが、ここで終わっているなら、大人としても終わりだ。


ここで負の感情だろうが批判だろうが何でも良い。


素直な心の動きを感じるのが、映画の役目なのだから。


いかにも写真をトレースされたアニメに価値を感じないのも、これが原因だろう。


我々は素人の美大生が描いた下手くそな写実まがいのアニメが見たい訳ではない。


サブカルアングラ作品の青春も、オタッキーの監督の妄想するアニメの青春も、


すべて嘘の世界であるということをわすれてはいけない。