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虚構日記

数年前に描いた文やふつうの日記を描いております。若干右寄りだったり制服フェチです。

老老介護による殺人事件

《 老人を殺しても少子高齢化は終わらない 》

少子高齢化が進む近年、高齢者への殺人事件が増加している。

その中でも、介護をしていた家族による殺人事件について今回は考察してみた。

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www.google.co.jp

 

※ 一例としてニュースを取り上げています。 

 

 日本では年老いた旦那、妻、子息が老々介護を行う場合、年に約40件ほど殺害事件が発生している。

しかし、その事件のほとんどは社会に表立つことはなく、その現実を知る人間は少ない。

果たして加害者となった被告者は、責められるべきなのだろうか?


《 残された家族の介護負担 》

 

そもそも老介護とは?

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www.minnanokaigo.com


 要介護認定すら取得できず、親や伴侶の介護を行わなければいけないという重圧は、とてつもなく重い。

さらに他の兄弟からの介護の押し付け、世間体への精神的プレッシャー、金銭の余裕のなさ。

挙げればきりがないほど、自宅での家族による介護には問題が山積みである。

 また、要介護者である高齢者が、訪問介護職員を気に入らない場合は、事業所にクレームが入る事も多数ある。

おむつ交換など排泄に関しても、排便失敗は要介護者にとってプライドを著しく傷つけ、心を閉ざす事が多い。

特に身体的介助は、家族にとって最も身近なストレスである。

ただでさえ施設の職員も手こずるのにも関わらず、

認知の進んだ高齢者、精神・知的障碍者の介護とは、家族にとって想像を絶する苦しみだ。

 家族が虐待・殺害に発展する原因は、施設への入居が金銭的に厳しいという現状に他ならない。

たった一人ですべてを抱え込んでしまう前に、福祉相談窓口へ連絡することが必要であると私は思う。

 

 本来の自然の摂理では、親が子を生み、その子が成人となり新たな孫を生むのだが。

平成という魔境では、少子高齢化は留まることを知らぬ。

 

日本における人口ピラミッドは崩れており、70歳を過ぎても働く老人もおり、年金だけでは到底暮らせない事を示している。

 

さらに現在の若人の時代には、年金という制度が無くなる可能性も深刻化してきている。

我が日本国家が福祉におけるバックボーンを戦前から形成しなかったことに原因があるのではないだろうか。

 

 では、高齢者を殺せば少子高齢化は解決するのだろうか?

答えはNOだ。

何故なら出産低下率は年々下がっている上、老人を失えばさらに労働力が減る上に、国家として運営できなくなるからだ。

 

戦後GHQにより一変した介護保険制度によって、余命少ない高齢者を延命をし続ける各種医療機関、大学病院。

 

莫大な医療費をつぎ込み大赤字となる国家の倫理観は、自然死への逆らいであり、余りに人工的だと感じる。

 

果たしてどの思想が正しいのかは疑問であるが。

 

老人国家となった日本の崩壊を見ることが我々次の世代の役目ではない筈だ。

 

かと言って、何の関係もない赤の他人が高齢者、又は障害者など。

 

社会的弱者を殺すことは倫理観に叶っているのだろうか?

 

《 弱者へのエゴイズム殺人 》

相模原障害者施設殺傷事件 - Wikipedia

 

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相模原障害者施設殺傷事件(さがみはら しょうがいしゃしせつ さっしょうじけん)とは、

2016年(平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良にある神奈川県立の知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」で発生した、刃物による大量殺人事件である。

同日中に19人の死亡が確認され、26人が重軽傷を負った[1]。第二次世界大戦後の日本で発生した殺人事件としては犠牲者の数が最も多く[4][注釈 1]、戦後最悪の大量殺人事件[注釈 2][6][7]として日本社会に衝撃を与えた[8][9]。

 

※ Wikipediaから引用させて頂きました。



加害者は意志の疎通が困難な障害者のみを殺害している。

「自分一人の力で生活できない彼らは人間ではないから」

ナチスドイツ思考に染まっていた加害者にとって、知的障碍者は虐殺の対象であった。

 

エゴイズムとは、自己中心的な考えによる行動、結果であると、

大多数の第三者が判断したものを指す。

 

 被告の起こした結果は、被害者遺族にとってどのように写っただろうか?

 

決して喜ばしいと思う方は居なかったと思う。

 

老老介護や、福祉支援の無い家庭で、疲れ果てた家族が、

断腸の思いで要介護者を殺害するのとは、わけが違うのではないだろうか。

 

そして本当の優しさとは、傍観者として綺麗事を吐くわけでもない。

 

社会的弱者・家族らにとって、最善を尽くすことが歪んだエゴイズムからの脱却であると私は思う。

 

この事件が社会の闇に埋もれぬよう、再発防止を祈る。

 

この事件を絶対に忘れてはいけない。

 

被害者、遺族らに黙祷を捧げます。