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虚構日記

数年前に描いた文やふつうの日記を描いております。若干右寄りだったり制服フェチです。

小説「ある軍人②」

 ※ 中3の時の小説ですが、写真は拾い物のイケメン特殊部隊です


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 大正10年は、私の甥が生まれた年である。

 

当時、早春の陽光の照らす、あたたかい昼に、私は兄の家へと向かった。


 玄関で私を迎えたのは、母親になったばかりの義姉だった。


彼女は、普通のサラリーマン家庭の娘で、将校の兄とは見合いで結婚したらしい。


兄は、古い借家に女中を一人も置かず、妻に家の留守を全て任せていた。
そのうち兄も戦地へと向かうわけだが、幸せな家庭を築いているようで安心した。

 

 奥の客間には、若い亭主らしく、威厳のない着物の兄が気楽に座っていた。


「茂、よく来てくれたなぁ」


兄は子供のように、嬉しそうに私を見て笑った。 


私は、兄の結婚式に参列した以降、兄と会っていなかった。


机の上に手際よく、洋菓子と紅茶が出された。
兄は寝かしている赤ん坊を、連れてくるために部屋を出て行った。


私は、あまり喋ったことの無い義姉と、二人きりになってしまった。


昔から内向的な私は、未だに人との会話が苦手である。


しかし、私が世間話を振らずとも、饒舌な彼女の話を聞いていれば良かった。

 

 しばらくすると、席を外した兄は、長男を抱いて帰ってきた。


堅い胸に抱かれた赤ん坊は、寝苦しそうでグズっていた。


兄が慌ててあやすが、普段、赤ん坊の世話をしていないのでぎこちない。


見かねた妻は、夫を面倒くさそうにあしらって、赤ん坊をとりあげた。


やはり、母親というものは、赤ん坊の世話に慣れているようだ。
ピタリと、すぐに泣き止んでしまう。これでは若い父親も形無しである。


「茂も抱いてみろよ」


手持ち無沙汰にしていた私を見兼ねたのか、兄は、赤ん坊を私に抱かせようとした。


私は、赤ん坊を抱いたことがない。間違って落としたりでもしたら大変だ。


首とお尻の下を支えればいいのよ、と義姉が抱き方を教えてくれた。


緊張しながら抱く。思っていたよりも、赤ん坊は小さくて軽かった。


眠そうな顔の甥は、私の胸に抱かれてもおとなしくしていた。


生まれて初めて抱いた赤ん坊は、暖かくて愛おしく感じられた。

 

兄と義姉を訪ねた後。私は帰りの道を呑気に歩いていた。


「泊まっていけよ」と、兄に何度も引き止められたが、私は帰宅することにした。


実は仕事が忙しすぎて、1日休暇を取るのもやっとのことだったからだ。


事情を説明すると、兄も、それは仕方がないとようやく諦めてくれた。


兄と義姉は、遠くから来た私を一日で帰すのに、気が引けたのだろう。


 「今日は遠いところからありがとうございました。また来てくださいね」


義姉に笑顔でこう言われると、手に持ちきれないほど、土産をたくさん渡された。


「久しぶりにお前の顔が見れて良かった。今度来るときは泊まっていけよな」


兄は寂しそうだった。軍人の兄は常に忙しい。だから、こうして会えるのは珍しかった。

 

 この別れの間際に、私は、幼い頃の悲しい思い出が蘇ってきた。


夏休暇が終わり、兄が広島の陸軍幼年学校に帰ってしまうときのことを。


大好きな兄がまた居なくなってしまうとわかって、私は泣きじゃくった。


五つの私には、兄がどこに帰るのかもわからなかった。


「どうして源兄ちゃんは帰っちゃうの」と、何度も兄に同じことを聞いた。


 昔から、体の弱い病弱な私に、周りの大人達は興味もくれず、構ってくれなかった。


そんな中で、兄だけが唯一私と遊んでくれたのである。


兄が陸軍幼年学校に合格したとき。私だけは素直に喜べなかった。


優しい兄が私から離れていってしまうことが、なによりも嫌だったからだ。


明日からは兄がいなくなる。そう考えるだけで涙が溢れ出た。


休暇が終わり、帰らなければならない兄は、いつも私の頬の涙を拭ってくれた。


「泣くな。兄ちゃんは離れていても、お前のことをずっと考えてるよ」


そんな別れの言葉を聞くと、私はたまらなくなって兄に抱き着いた。


鼻水を啜りながら、女中と駅まで見送りに行ったことを今でも覚えている。


あのときの私には、まだ少年だった兄の背中が、誰よりも大きく見えた。

 


 二人に名残惜しそうに見送られて、私は帰路に着いていた。


甥の名前は、英一と名付けられたようだった。


立派な名前であるが、甥のやんちゃな顔には合っていない気がした。


いつの世も、風が通り過ぎるようにすぐに移り変わってしまう。 


それに適応することができず、挫けてしまう人間もいる。


そんな世の中で、誰にも負けないように賢く育って欲しい。と、兄は言っていた。


たった数年前まで兄は、後先も考えぬ自由な若者だった。


それが今では、1児の父親だというのだから、世の中は不思議なものである。


普段、私は赤子を目にすることなどない。ましてや抱いたこともない。


だから、今日は初めて赤ん坊を抱くことができて良かったと思う。

 

 世間では、大国ロシアとの雲行きが怪しいと噂されている。


ロシアと戦火を交えるようになれば、男達は残らず出兵されるだろう。


戦死者の数と共に、その死を悲しむ家族も増える。


名誉の戦士と国に煽られても、残された家族は涙を流すことしかできない。


もしも兄が戦死してしまったら、義姉や甥はどれだけ悲しむだろうか。


まだ赤ん坊の甥は、これから父親の顔も知らずに育つのだろうか。


次々と不安が浮かんできて、胸が張り裂けそうになる。 


私は、あの優しい義姉に夫の戦死という、深い悲しみを負って欲しくなかった。


 気がつくと、私は帰りの駅に着いていた。切符を買うと、すぐにホームの階段を登った。


汽車は20分後に着くようだった。コートを着込むほどではないが、少し寒かった。


ホームを見渡すと、休日でどこかに出掛けたらしい親子が居た。


楽しかったのだろう。

子供は嬉しそうに笑いながら、親にずっと話しかけていた。

 

微笑ましい光景に頬が緩む。冷えた身体とは反対に、私の心は暖まっていた。


目の端に、白い煙をあげて真っ黒な汽車が入って来るのが見えた。 


ポォーッと甲高い音を立てて汽車はホームに停車した。


  私は一等車に入ると窓側の席に座った。しばらくすると、列車はゆっくりと動き出した。